2023年の秋に他界した父の葬儀は、本人の強い希望により無宗派で行うことになりました。父は生涯を通じて特定の神仏を信じることはなく、何よりも自由と音楽を愛する人でした。そのため、私たちは「音楽葬」という形を選び、父が愛用していた古いレコードから流れるジャズをBGMに、親しい友人や家族だけで過ごすお別れ会を企画しました。会場には祭壇を設けず、父が好きだったウイスキーのボトルと、趣味の登山道具、そして満面の笑みを浮かべた大きな写真を飾りました。参列者が会場に入ると、そこは葬儀場というよりも、まるで行きつけのバーのような雰囲気でした。1人ひとりがグラスを手に取り、父の遺影に向かって献杯する様子を見て、私はこれで良かったのだと確信しました。読経の声の代わりに響くのは、友人たちが語る父との失敗談や笑い話でした。宗教的な決まり事がない分、言葉に飾りがなく、皆が素直な気持ちで父との別れを惜しんでいるのが伝わってきました。中盤では、私が制作した15分間のスライドショーを上映しました。幼い頃の私を抱く父、仕事で苦労していた頃の険しい表情、そして定年後に趣味を謳歌する姿。それらを時系列で追うことで、参列者の誰もが父の歩んだ人生を改めて深く知る機会となりました。最後に、父が1番好きだった曲を全員で聞きながら、1本ずつの白いカーネーションを棺に手向けました。無宗派という選択は、親戚の一部からは最初「非常識ではないか」という声もありましたが、実際に式を終えてみると「こんなに温かい式は初めてだ」と涙ながらに言ってくれました。形式にとらわれず、故人の人柄そのものを中心に置くことで、悲しみの中にも確かな喜びを感じることができました。無宗派葬儀の良さは、遺族が自らの手で供養の形を決定し、実行するプロセスを通じて、深いグリーフケアが行われる点にあると感じます。父を失った喪失感は今も消えませんが、あの日、自分たちの手でしっかりと送り出せたという達成感が、私を支えてくれています。15人ほどの小さな集まりでしたが、その密度はどんな盛大な葬儀よりも濃いものでした。伝統を否定するのではなく、今の自分たちに1番しっくりくる言葉で感謝を伝える。そんな無宗派葬儀の可能性を、私は実体験を通じて学ぶことができました。これから葬儀を考える方には、ぜひ既存の枠組みを一度取り払い、自分たちが本当に大切にしたいものは何かを問いかけてほしいと思います。
自由な音楽とお酒で父を見送った私の体験記