友引に葬儀を避けるという風習は、日本全国で共通の慣習のように思われがちですが、実はその捉え方には宗教や所属するコミュニティ、そして地域によって大きな温度差が存在します。まず明確にしておくべきなのは、仏教の教えと六曜は全く無関係であるという点です。特に浄土真宗では、阿弥陀仏の救いは全ての衆生に平等に注がれるものであり、日の吉凶によって左右されることはないという教えから、六曜のような俗信を明確に否定しています。そのため、熱心な浄土真宗の門徒が多い地域や家庭では、友引を全く気にせずに葬儀を執り行うことも珍しくありません。同様に、キリスト教においても、人の死は神の御許に召される喜ばしい出来事(帰天)と捉えられることもあり、六曜という日本独自の暦注に影響されることはありません。また、日本の古来の宗教である神道においても、六曜は外来の考え方であるため、本来は葬儀の日程(葬場祭)とは無関係です。しかし、神道も日本の風土の中で仏教や民俗信仰と融合してきた歴史があるため、氏子や地域の慣習に配慮して友引を避けることは少なくありません。地域差も顕著で、都市部では火葬場の休業という現実的な問題から結果的に友引を避ける傾向が強い一方、一部の地域では「友引でも開いている火葬場」が存在し、住民の意識もそれほど強くない場合があります。さらに、世代間の意識の違いも無視できません。高齢の世代ほど六曜を重んじる傾向が強く、若い世代は「火葬場の都合」と合理的に捉える人が多いようです。このように、友引に葬儀を避けるという慣習は、決して絶対的なルールではないのです。ご自身の信仰や、故人様の遺志、そして地域の火葬場の状況などを総合的に考慮し、ご遺族が最も納得できる形で日程を決めることが、何よりも大切だと言えるでしょう。