父が倒れたという知らせは、あまりにも突然でした。覚悟をする間もなく、父はこの世を去り、長男である私が、生まれて初めて「喪主」という重責を担うことになりました。悲しみに浸る暇もなく、葬儀の準備が怒涛のように始まりました。その中で、私の心を最も重く圧し潰していたのが、参列者の前での挨拶でした。何を話せばいいのか、どう振る舞えばいいのか、全く分かりませんでした。インターネットで文例を検索し、父との思い出を必死に書き出しました。不器用だけれど愛情深い父、頑固だけれど誰よりも家族を思ってくれていた父。書きたいことはたくさんあるのに、言葉がうまく繋がりません。結局、ぎこちない文章を便箋に書き写し、それを懐に忍ばせて通夜に臨みました。通夜の終わり、挨拶のためにマイクの前に立った私の足は、震えていました。用意した便箋を広げ、読み始めようとした瞬間、参列してくださった父の友人たちの温かい眼差しが目に飛び込んできました。その瞬間、堰を切ったように涙が溢れ、便箋の文字が滲んで読めなくなってしまいました。「父は…」そう言ったきり、言葉が続きません。頭の中は真っ白になり、準備してきた言葉は全て消え去っていました。しばらくの沈黙の後、私が絞り出したのは「父のために、本当に、ありがとうございます」という、たった一言でした。そして、深く、深く頭を下げました。完璧な挨拶からは程遠い、みっともない姿だったかもしれません。しかし、挨拶を終えて席に戻ると、父の旧友が私の肩を叩き、「お父さん、喜んでるぞ。立派な挨拶だった」と声をかけてくれたのです。その時、私は気づきました。喪主の挨拶に、上手いも下手もないのだと。大切なのは、心の底からの感謝と、故人を思う気持ち。その思いは、たとえ言葉にならなくても、必ず人に伝わるのだと。あの日の失敗と涙が、私に教えてくれた、何よりも尊い教訓でした。
私が初めて喪主を務めた日の挨拶