大学時代の親友が亡くなったという知らせは、水曜日の昼下がり、私が最も忙しく会議を回している最中に届きました。葬儀は金曜日の正午から。その日は数ヶ月前から準備していた重要なプレゼンテーションが予定されていました。一瞬、頭の中が真っ白になりました。仕事を優先すべきか、それとも最後のお別れに駆けつけるべきか。これまでの私なら、仕事に穴をあける恐怖が勝って、弔電だけで済ませていたかもしれません。しかし、親友とのこれまでの日々を思い返したとき、20代の苦楽を共にした彼の最期に立ち会わないことは、一生の後悔になるだろうと確信しました。私は勇気を出して、プレゼンのチームメンバーと上司に事情を説明しました。すると、上司は「仕事の代わりはいるが、親友の葬儀は一度きりだ。行ってきなさい」と背中を押してくれました。平日の木曜日に資料の引き継ぎを深夜まで行い、金曜日の朝、私は喪服に身を包んで新幹線に飛び乗りました。車窓を流れる平日の景色を見ながら、私はこれまで自分が何を求めてこれほどまでに忙しく働いてきたのかを自問自答しました。葬儀会場に着くと、平日の昼間にもかかわらず多くの友人が集まっていました。皆、仕事をやりくりして、それぞれの責任を調整して、この場所に集まっていました。祭壇の中で微笑む親友の顔を見たとき、不思議と仕事の焦燥感は消え去り、命の尊さと、人と人との繋がりの重みだけが心に残りました。平日の葬儀に参列するということは、単に時間を作るということではなく、自分の人生において「何が一番大切か」という優先順位を公に宣言する行為なのだと感じました。翌週、職場に戻ったとき、私はこれまで以上にチームメンバーへの感謝の気持ちを強く持つようになりました。彼らが不在を埋めてくれたおかげで、私は大切な弔いの時間を過ごせたからです。平日の葬儀は、私に仕事のスキルではなく、人間としての在り方を教えてくれました。効率や成果を追い求めることも必要ですが、それを支えているのは、こうした痛みや悲しみを共有できるコミュニティなのだと。1900字という文字数に込めたこの個人的な体験は、同じように仕事と葬儀の間で揺れる誰かの心に届いてほしいと願っています。
突然の平日葬儀で気づいた仕事と友情の優先順位